竪穴群図書室

 

 

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竪穴群に関する翻訳文献集

Маленькая библиотека о памятниках археологии с жилищными впадинами

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サハリン州パラナイスク市東郊にあるタラン1(Таран 1)集落跡の竪穴群(平成29年4月29日撮影)

 古代の竪穴群は、北海道をはじめとした日本列島に多いだけでなく、世界の各地に存在することが知られています。そのため、北海道の竪穴群を客観的に理解し、また正当に評価するためには、海外の竪穴群との比較を行うことも必要です。

 このページでは、北海道の竪穴群と特に関係が深いと考えられるロシア連邦サハリン州の竪穴群に関するものを中心に、代表的な文献と思われるものを日本語に翻訳し、簡単な解題をつけて紹介します。

 翻訳は北海道教育委員会の文化財保護主事が行っており、考古学上・語学上の正確さの点で不十分な点もあると思われますので、閲覧者の皆様の忌憚のない御意見をお寄せくださるようお願いします。(平成28年10月11日)

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◆ П.А.クラポートキン「И.А.ラパーチンのサハリンにおける調査について」(1869)
 東シベリア総督の命令で行われた地質学者の踏査に基づく、同島の竪穴群に関する初期の学術的な報告の一つ。謎の民族「トンチ」に関する樺太アイヌの伝承をロシア側で記録した最古の文献とされる。(平成28年10月11日公開、平成29年5月10日修正)

◆ А.В.マジャーイフ「サハリン島における古代及び中世の集落の構造について」(2015)
 サハリン国立大学が2011年に行ったサハリン島中部東海岸のタグイ1集落遺跡の測量・試掘調査に基づき、この遺跡の竪穴群の構成について論じる。(平成29年2月17日公開)

◆ О.А.シュービナ『イムチン新石器文化集落の住居群(北サハリン)』(1987)第1部:解題、序文及び写真
 サハリン州立郷土誌博物館が1973~1984年に行ったサハリン島北部イムチンII・XII遺跡の発掘調査で記録された竪穴住居跡群の報告書。(平成29年5月19日公開、令和2年6月12日修正)

◆ О.А.シュービナ『イムチン新石器文化集落の住居群(北サハリン)』(1987)第2部:扉、序及びイムチンII遺跡
 (平成29年5月19日公開、令和2年6月12日修正)

◆ О.А.シュービナ『イムチン新石器文化集落の住居群(北サハリン)』(1987)第3部:イムチンXII遺跡、結語及び注・挿図一覧
 (平成29年5月19日公開、令和2年6月12日修正)

◆ С.П.クラシェニンニカフ「クリル民族について」「ロシア人からはクリル第二島・第三島と呼ばれているパラムシル及びオンニェクタ島居住のクリルについて」(1755)
 ロシア科学アカデミーのシベリア調査隊員として1733年から1741年までカムチャツカに滞在した博物誌学者が残した北千島アイヌに関する最古の民族誌。竪穴住居に関連する記述を含む。(平成29年10月23日公開)

◆ И.А.ラパーチン「アムール地方における古代遺跡49箇所についての略報」(部分、1870)
 1867年から1868年にかけサハリンを訪れた東シベリア総督府の鉱山技師ラパーチンが極東での考古学的な知見を取りまとめた手稿末尾の、サハリン島内の遺跡に関する部分。1868年4月28日に白鳥湖畔ではじめて竪穴群を発見した際の記述がある。(平成30年4月26日公開)

◆ О.А.シュービナ「サハリン南部アホーツカヤ3多層集落跡のかまど付き住居群(2000・2001年の発掘調査結果)」(2004)第1部:冒頭から「粘土で築いたかまどの記載」まで
 サハリン島南東部の東海岸で発掘されたかまどのある竪穴住居跡群について詳しく記載した主要な文献。擦文文化からの影響で出現したと考えられるかまどはサハリンと北海道の古代集落遺跡の密接な関係を示唆する。挿図が多くファイルサイズが大きいため二部に分けて掲載する。(平成31年4月8日公開)

◆ О.А.シュービナ「サハリン南部アホーツカヤ3多層集落跡のかまど付き住居群(2000・2001年の発掘調査結果)」(2004)第2部:「石で組んだ煙道を持つかまどの記載」から末尾まで
 (平成31年4月8日公開)

◆ Б.О.ピルスツキイ「サハリン島の原住民」(1909)
サハリン島の民族誌家として有名な著者が、竪穴住居に住んだ先住民「トンチ」に関する伝承を紹介した主要な文献。自分たちが北海道から移住してきたことを20世紀初めの樺太アイヌ自身が記憶していたことを紹介する。(令和2年11月20日公開)

◆ А.Б.スピヴァコーフスキイ「色丹島ヂリフィン湾におけるオホーツク文化の古墳墓」(1997)
1985・87年に行われた色丹島所在のオホーツク文化の貝塚を伴う集落跡の調査結果を要約し、特に保存状態のよかった1号墳墓の遺体を取り上げ検討する。(令和3年7月12日公開)

◆ А.Б.スピヴァコーフスキイ「色丹島のオホーツク文化の貝塚(千島列島の民族史上の問題によせて)」(1994)
1985・87年に行われた色丹島所在のオホーツク文化の貝塚を伴う集落跡の調査結果の全体像を報告し、オホーツク文化の担い手と先住のアイヌ系集団の関係を論ずる。(令和3年7月12日公開)

◆ О.А.シュービナ「アホーツカヤ3集落跡のかまど付き住居群(2020年の発掘資料による)」(2021)第1部:冒頭から1号住居の記載まで
 2000・2001年に続き、サハリン州立郷土誌博物館によるサハリン南東部アホーツカヤ3集落跡の発掘調査で再びかまどのある竪穴住居跡群が発見された。挿図が多くファイルサイズが大きいため二部に分けて掲載する。(令和4年7月26日公開)

◆ О.А.シュービナ「アホーツカヤ3集落跡のかまど付き住居群(2020年の発掘資料による)」(2021)第2部:2号住居の記載から末尾まで
 (令和4年7月26日公開)

 

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