名称 | 所在地 | 指定年月日 | 摘要 |
旧檜山爾志郡役所庁舎 | 江差町 字中歌町112 |
平成4・3・31 | 檜山・爾志郡両郡の郡役所として明治20年(1887年)に建設された。郡役所として道内で唯一の遺構であり、警察署の庁舎を兼ねた。郡区長が警察署長を兼ねた時期の産物である。 |
法華寺寛保津波の碑 | 江差町字本町71 | 平成4・3・31 | 寛保元年(1741年)7月19日の大津波の犠牲者の供養碑として8月に建てられた石碑で、はじめは陣屋町の薬師堂に建てられたものである。歴史的な災害の重要な文化財であり碑文は記録として重要。 |
正覚院寛保津波の碑 | 江差町字本町271 | 平成4・3・31 | 寛保元年(1741年)7月19日の大津波の犠牲者の供養碑として8月に建てられた。寛保の大津波は日本の災害史上の大きな事件であるが、この石碑は大津波に関する重要な文化財であり碑文は記録として重要。 |
砂館神社本殿 | 上ノ国町字北村96 | 昭和60・3・30 | この神社は松前氏祖武田信広が洲崎館内に寛正3年(1462年)に建てられた神社である。 |
円空作十一面観音立像 | 上ノ国町字上ノ国236 | 昭和52・3・11 | この仏像は約150cmの高さを持つ大作であり、道内にある仏像のうち唯一の十一面観音像である。 |
上ノ國八幡宮本殿 | 上ノ国町字上ノ国409 | 平成29・3・31 | 北海道内に現存する神社建築としては最古とみられ、その建築年は元禄12年(1699年)と推定される。 |
勝山館跡宮ノ沢右岸出土品 | 上ノ国町字大留50-1 | 令和5・11・28 | 北海道最古の民家である国指定重要文化財旧笹浪家住宅の保存修理工事に伴う平成11年の発掘調査により発見された、慶長期の出土品である。和人と関連する形代「む志ろ」と墨書きされた木簡などとともに、アイヌ文化と関連するイクパスイ、弓、シロシ付の漆器盆や骨角器が混在していることが特徴である。当該出土品は、中近世を通じての和人地におけるアイヌ民族との交易・交流を考える上で、資料的価値は高い。 |
新羅之記録 | 奥尻町字赤石 | 昭和45・2・12 | 寛永20年(1643年)に編さんされた、初期の松前家の実績の記録で、北海道最古の歴史文献。 |
青苗遺跡出土品 | 奥尻町字奥尻314地先 | 平成29・3・31 | 11~12世紀の擦文時代後期の貝塚。この時代の貝塚は極めて稀。 擦文土器38点。骨角器等81点。 |
南川遺跡出土の遺物 | せたな町瀬棚区本町651 | 昭和56・3・31 | せたな町瀬棚市街の南の海岸砂丘にあり、面積5万㎡に分布している。今から1800~2000年前、渡島半島から道央にかけて広がった恵山文化の遺跡の中では最大級のもので、北海道の文化財指定を受けたのは、昭和50年(1975年)に同遺跡の墳墓群から出土した土器25点と石器208点である。土器・石器とも、本州北端・青森地方に伝わってきた弥生文化の影響を強く受けており、恵山文化の人たちの生活を解き明かす貴重な資料である。 |
名称 | 所在地 | 指定年月日 | 摘要 |
江差姥神町横山家 | 江差町 字姥神町45 |
昭和38・12・24 | 漁業・商家・廻船問屋業を営んでいた横山家は、明治6年(1873年)に創建途中大火にあい同25年(1892年)に再建された。昔の建築様式を再現していると伝えられている。 |
江差姥神大神宮祭礼山車 松寶丸及び附属品 |
江差町 字陣屋町19 |
昭和38・12・24 | 毎年江差姥神大神宮の祭礼に供奉するために山車として建造されたものであり、船材はすべてあすなろ檜を使用している。 |
江差姥神大神宮祭礼山車 神功山人形及び附属品 |
江差町 字愛宕町49 |
昭和38・12・24 | 神功山は姥神大神宮祭典に供奉される山車で、人形は宝暦4年(1754年)に作られた。箱書きに細工師の名前が書かれており、京都の人形問屋松屋七郎兵衛に納められたと伝えられている。 |
名称 | 所在地 | 指定年月日 | 摘要 |
江差五勝手鹿子舞 | 江差町旧五勝手地域 | 昭和38・12・24 | 今から、260年程度前、杜夫が山で見た鹿の雌雄のたわむれ争うのをみて作られたというもの。 |
江差沖揚音頭 | 江差町旧五勝手地域 | 昭和38・12・24 | 鰊で栄えた当時のことを鰊漁の水揚げから網起こし・汲み出し・子叩き・納屋入れまでを唄ったもので共同作業に効果があり、他の地方のすでにお座敷化しているものにはみられない気合いのこもったもののまま残されている。 |
江差追分 | 江差町全域 | 昭和52・4・13 | 今から200年程度前、信州中仙道の馬子唄が蝦夷地通いの船頭衆や舟子達によって舟歌となり、その舟歌を母とし伊勢松坂の兼良節を父として生まれたといわれる。日本の代表的民謡として有名である。 |
江差三下り | 江差町全域 | 昭和57・6・30 | 江差追分が完成する過程の元唄であり、追分節の母といわれている。信州馬子唄が越後路に入り船中で歌われ、元禄年間江差に入り、あやこ達によって固定し座敷唄として完成した。 |
江差餅つき囃子 | 江差町全域 | 昭和57・6・30 | 鰊で栄えた頃、年の瀬には親方の家では5俵10俵と餅をつく。笛・太鼓に合わせて若い漁夫が一団となって踊りながら餅をつき、相取手が曲芸をやるというもの。 |
姥神大神宮渡御祭 | 江差町 | 平成31・3・19 | 江戸時代より姥神大神宮の祭礼として、神輿渡御・山車供奉の形態が伝承されてきた。歴史的に遡ることができて地域色豊かであり、本道における典型的な風俗慣習である。 |
名称 | 所在地 | 指定年月日 | 摘要 |
乙部鮪ノ岬の安山岩柱状節理 | 乙部町字花磯 | 昭和47・4・1 | 鮪ノ岬の北面幅約500mにわたって柱状節理を国道から見ることができる。 |
名称 | 所在地 | 指定年月日 | 摘要 |
青苗砂丘遺跡 | 奥尻町字青苗 | 平成20・3・18 | オホーツク文化最南の遺跡であり、南北文化交流の拠点でもある遺跡として重要。 |