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文化財
令和4年(2022年)5月1日現在
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指定区分 | 名称 | 所在地 | 所有者(管理者) | 指定年月日 | 摘要 |
重要無形
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国 | アイヌ古式舞踊 | 平取町 | 平取アイヌ文化保存会 | 昭和59年1月21日 | アイヌの人々によって伝承されてきた芸能で、特に信仰と芸能と生活が密着不離に結びついているところに特色があり、芸能史的な価値が高い。 |
新ひだか町 | 静内民族文化保存会 | |||||
浦河町 | 浦河アイヌ文化保存会 | |||||
日高町 | 門別ウタリ文化保存会 | 平成6年12月21日 | ||||
新冠町 | 新冠民族文化保存会 | |||||
新ひだか町 | 三石民族文化保存会 | |||||
様似町 | 様似民族文化保存会 | |||||
無形文化財
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新ひだか町 | 淡路豊年桝踊り | 新ひだか町 三石 |
延出郷土芸能保存会 (保持団体) |
平成18年3月31日 | 明治18年(1885年)から始まった兵庫県淡路島から延出地区(現・豊岡、富沢地区)への集団入植で移住してきた人々によって伝えられた。明治18年(1885年)に、延出地区で日露戦争の凱旋祝いの演芸会が行われて以来、9月の村祭りには演芸会が毎年開催され「桝踊り」が欠かさず踊られたことから、淡路出身者以外の入植者にも伝えられ、地域全体のものとして現在に受け継がれている。 |
新ひだか町 | 歌笛越前踊り | 新ひだか町 三石 |
歌笛越前踊り保存会 (保持団体) |
平成18年3月31日 | 明治18年(1885年)から始まった福井県大野地方から歌笛・川上地区への集団入植で移住してきた人々によって伝えられた。 | |
浦河町 | アッシ織り | 浦河町 | 昭和58年12月6日 | 発明時期が不明であるが、オヒョウの繊維で織ったアイヌ民族の衣装(着物)で古くから継承されてきた伝統技術。 | ||
えりも町 | えりも駒踊り | えりも町 | えりも駒踊り保存会 「勇駒会」(保持団体) |
平成21年6月10日 | 青森県太平洋側、岩手県南部周辺の出身者が郷里の駒踊りを懐かしみ、独自の舞いを創りだし、昭和10年(1935年)に住吉神社秋の例大祭で踊られるようになったのが始まりであるとされている。 | |
えりも町 | 襟裳神楽 | えりも町 | 襟裳神楽保存会 (保持団体) |
平成21年6月10日 | 航海の難所といわれた襟裳岬沖を通る船の安全と大漁を祈願して舞うと伝えられる。文化11年(1814年)に襟裳岬に襟裳神社が建立されて以来、奉納の舞として受け継がれている。 | |
重要有形 |
国 | 北海道二風谷及び周辺地域のアイヌ生活用具コレクション | 平取町二風谷 | 平取町及び個人(萱野 志朗) | 平成14年2月12日 | 萱野茂氏が二風谷を中心に収集した資料で、由来が比較的明確であり、生活用具が諸分野の全般に亘って網羅的に収集されており、伝統的な暮らしの全容や地域的特徴を知ることができる。 |
重要文化財 |
国 | 蝦夷三官寺等澍院関係資料 | 様似町本町 (会所町) |
等澍院 (教育委員会・郷土館寄託資料) |
平成17年6月9日 | 等澍院創世住職秀暁の選任(享和3年)からの住職記11冊、什物帳1冊、書付(寺禄逓減法通知書)1冊、百万遍念珠箱1点、霊簿1冊、禍福訓1冊、計16冊。 |
登録有形
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国 | 北海道大学文学部二風谷研究室(旧マンロー邸) | 平取町二風谷 | 国立大学法人 北海道大学 |
平成12年4月28日 | 考古学・人類学者でもあった英国人医師N.G.マンロー博士の旧邸宅兼診療所。現在は北海道大学へ寄贈され、北方文化の研究等に活用されている。 |
国 | 飯田家住宅座敷棟 | 日高町富川 | 飯田 紀行 ほか | 平成26年12月19日 | 明治44年(1911年)、皇太子(後の大正天皇)行啓時の宿所として旧門別町に建てられた座敷二室と東面廊下の主体部を移築し、増築された。建物の軸部にヒノキの良材をふんだんに使い、折上格天井、トコ、付書院、建具、錺金具などの内部造作は善美を尽くした気品ある意匠となる。 | |
国 | 飯田家住宅主屋 | 日高町 門別本町 |
飯田 紀行 | 平成27年11月17日 | 明治30年代、豪商飯田信三隠居所として門別本町の現在地に建てられた。明治42年(1909年)には、韓国皇太子宿所として15畳と10畳和室の和室を増築している。和式を基本としながらも応接用の洋間や洋窓を配するなど、和洋の意匠を取り混ぜた上質な住宅である。 | |
国 | 幌泉灯台記念塔 | えりも町本町 | えりも町 | 令和元年12月5日 | えりも港湾に面する灯台山頂上に昭和3年(1928年)に建築した灯台。四角柱の外観で、入り口には特送付半円アーチを付す。壁の隅部に唐戸面を施し、頂部にコーニスを廻らしてデンティルを飾り、屋上の灯火部に鉄枠の窓を穿つ。日本の鉄筋コンクリート造の初期の形式をよく残している。昭和53年(1978年)、灯台山を切り崩し、灯台公園の整備に伴い公園の中心に移築された。 | |
有形文化財
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北海道 | 静内御殿山墳墓群出土の遺物 | 新ひだか町 静内山手町 |
新ひだか町 | 昭和43年3月29日 | 御殿山式土器及び漆塗の櫛玉類等多数の副葬品で、縄文文化後期ないし晩期の墓制、葬制、習俗を知る上で貴重な品々である。 |
北海道 | 二風谷遺跡群出土品 | 平取町二風谷 | 平取町 | 平成24年3月19日 | 出土品は、北海道の15世紀から17世紀における生活実態を示すことから、その学術的価値は高く、当該期における北海道の歴史を考える上で指標となる。 | |
新ひだか町 | エゾオオカミ(頭蓋骨) | 新ひだか町 静内真歌 |
新ひだか町教育委員会 | 平成18年3月31日 | 表面に皮膚が残存している。左後頭部に穿孔があり、中にキケ(削りかけ)が詰められている。全体に保存状態は良好。町内の民家にあった。絶滅したエゾオオカミであり、アイヌの伝統的儀礼に供されたものとしては国内唯一の資料である可能性が高い。 | |
新ひだか町 | 静内中野式土器 | 新ひだか町 静内山手町 |
新ひだか町教育委員会 | 平成18年3月31日 | ほぼ完形。昭和27年(1952年)静内高校郷土史研究部によって中野台地A遺跡(現名称)で発掘されたもの。静内中野式の標式土器。 | |
浦河町 | 迎賓馬車 | 浦河町西幌別 | (浦河町) | 昭和57年3月19日 | 明治40年(1907年)に設立された日高種馬牧場で迎賓用に使用されていた馬車。 | |
浦河町 | 縄文式土器(後期) | 浦河町西幌別 | (浦河町) | 昭和57年3月19日 | 上東栄遺跡から出土した縄文時代後期(約3,000年前)の土器4点。 | |
様似町 | 等澍院護摩堂 | 様似町本町 | 等澍院 | 昭和40年11月1日 | オコタヌシ(栄町)に建立された等澍院の初代住職、秀暁の請願により文化8年(1811年)に竣工。北海道開拓と様似の歴史を物語る代表的な建物。 | |
様似町 | 和助地蔵尊 | 様似町幌満 | 和助地蔵奉賛会 | 昭和44年3月1日 | 寛政11年(1799年)様似山道開発工事で活躍した斉藤和助の、旅人の利便をはかるなどの数々の功績を讃えて建立された御影石造り座像。 | |
様似町 | 弁財天像 | 様似町本町 | 等澍院 | 昭和57年10月10日 | 安政4年(1857年)に会所付近に建立された弁天社の主神として祀られていた木彫の座像で、江戸時代前期、松井右近作(推定)。 | |
様似町 | 薬師如来三尊仏像 | 様似町本町 | 等澍院 | 昭和57年10月10日 | 文化元年(1804年)等澍院が蝦夷三官寺の首席に推された当時からの本尊で、江戸時代後期(推定)、黒田高山作。 | |
様似町 | 聖観世音菩薩像 | 様似町本町 | 等澍院 | 昭和57年10月10日 | 寛政2年(1790年)エンルム岬にあった観音堂の本尊で、鎌倉時代(推定)作者不明、様似最古の仏像。 | |
様似町 | 南無仏太子像 | 様似町本町 | 智教寺 | 昭和57年10月10日 | 聖徳太子二歳木彫像で、南無仏太子彫刻史上貴重な作例。室町時代(推定)、作者不明。 | |
様似町 | 等澍院古文書 | 様似町本町 (会所町) |
等澍院 (教育委員会・郷土館寄託資料) |
平成12年9月8日 | 函館奉行と寺社奉行との間での蝦夷地の寺院建立に関する「蝦夷地寺院一件記 全」、寛永寺の住所に籍を置きたい旨の願い書が記載されている「寺禄之儀に付泰願上書」の2点。 | |
様似町 | 矢本家文書 | 様似町会所町 | 様似郷土館 | 平成26年6月9日 | 明治期に様似会所の業務を引き継ぎ、物資・通達の取次や旅籠屋、郵便事業などを担っていた矢本蔵五郎をはじめとする矢本家に伝わる文書。37点のうち34点。 | |
様似町 | 冬島遺跡出土資料 | 様似町会所町 | 様似郷土館 | 令和4年2月24日 | 冬島遺跡から出土した土器や石器など104点。 | |
様似町 | シャマニ場所絵図面 | 様似町会所町 | 様似郷土館 | 令和4年2月24日 | 江戸時代末期のシャマニ場所の様子を描いた絵図1点。 文久元年(1861年)に箱館奉行に献上する目的で制作されたものとされ、絵図の上部には箱館奉行である勝田伊賀守の名も記されている。作者は不明。 絵図には、地名をはじめ、冬島の穴岩、日高耶馬渓、等澍院、シャマニ会所、アイヌコタン、昆布小屋、一里塚、境杭、小休所、炭焼小屋、柾挽小屋、鹿猟場、材木伐場などが描かれ、当時の様似の様子を窺い知ることができる。 また、特筆すべき点として、朱色の点線で道が描かれおり、塩釜山道や国指定史跡様似山道など、当時の交通の様子を知ることができる。 |
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様似町 | 様似軌道関係資料 | 様似町会所町 | 様似郷土館 | 令和4年2月24日 | 昭和5年(1930年)から昭和20年(1945年)まで、日高種馬牧場敷地内の立木を買い受けた三井物産が、木材運搬用に敷設した浦河町上杵臼から現在の様似町西町地区までを結んだ軌道に関係する資料(様似軌道関係資料)のうち、地図・図面類など62件91点である。 三井物産は、浦河町上杵臼から様似町西町の浜土場までの約30キロにわたって軌道を敷設し、ディーゼル機関車・ガソリン機関車の2台を用いて木材を運搬し、西町前浜から木材を沖流し、輸出していた。 伐採業務に伴い、炭焼き小屋、造材飯場や馬小屋、資材倉庫、事務室、鍛冶屋、豆腐屋などが作られ、500人以上が業務に従事していたといわれる。 |
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えりも町 | 蝦夷一覧 | えりも町新浜 え り も 町 郷土資料館 |
(えりも町) | 昭和59年1月27日 | アイヌ民族のアッシ織りや狩猟風景などを描いた風俗画。 | |
えりも町 | 住吉神社境内江戸時代建立の石碑群 | えりも町本町 | 住吉神社 | 平成14年3月20日 | 嘉永3年(1850年)建立の手水鉢には、場所請負人福嶋屋喜四郎の刻、嘉永4年(1851年)建立の石灯籠脚台には、福嶋屋喜四郎と名越屋善吉、和田屋元吉の刻、文久4年(1864年)建立の手水鉢には、福順丸又助の刻があり、江戸時代の場所請負人と北前船の歴史を示す貴重な資料である。 | |
えりも町 | 襟裳神社境内江戸時代建立の石碑群 | えりも町 えりも岬 |
襟裳神社 | 平成14年3月20日 | 嘉永3年(1850年)建立の手水鉢には、讃岐粟嶋升屋虎蔵の刻があり、升屋は場所請負人の雇船。狛犬台座には、幌泉場所の支配人卯三郎の刻。文久元年(1861年)建立の石灯籠を含め、江戸時代の場所請負人と北前船の歴史を示す貴重な資料である。 | |
えりも町 | 不動明王 | えりも町本町 | 法光寺 | 平成14年3月20日 | 文化10年(1813年)3月に建立されたこの不動明王は、文化9年(1812年)にロシアに捕らえられ、文化10年(1813年)7月17日に松前に戻ってきた高田屋嘉兵衛の無事帰国を祈願する高田屋によって奉納されたと考えられる。 | |
えりも町 | 一石一字塔 | えりも町庶野 | えりも町 | 平成14年3月20日 | 文化3年(1806年)建立。碑文は、海難者の追悼供養であるが、当時のアイヌに対し統制を保つため、法力による航海安全の願いを込めることで仏教の持つ尊厳さを印象づける狙いが伺われる。 | |
えりも町 | 當世武大明神 | えりも町庶野 | 佐々木起也 | 平成14年3月20日 | 慶應2年(1866年)建立。請負人杉浦嘉七豊明、支配人紋蔵の刻。北前船が風待ちをした入り江を望む段丘上にあることから、北前船の航海の安全と幌泉場所の反映を祈願して建立されたと考えられる。 | |
えりも町 | 目黒神社境内江戸時代建立の石碑群 | えりも町目黒 | 目黒神社 | 平成14年3月20日 | 石灯籠には、越後鬼舞伊吉丸などの刻。北前船の船主と請負人が、元治元年(1864年)に建立。社内にある狛犬は慶應2年(1866年)に建立され、番屋守中村惣太郎、宮石熊次郎の刻がある。江戸時代の場所請負の歴史を示す貴重な資料である。 |
記念物
令和4年(2022年)5月1日現在
指定区分 | 名称 | 所在地 | 所有者(管理者) | 指定年月日 | 摘要 | |
史跡
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国 | シベチャリ川流域チャシ跡群及びアッペツチャシ跡 | 新ひだか町 日高町 |
(新ひだか町) (日高町) |
平成9年12月2日 | 寛文9年(1669年)のシャクシャインの戦いの砦として、重要な役割を果たしたといわれる新ひだか町シベチャリ川流域にある静内真歌のシベチャリチャシ跡、静内入船のホイナシリチャシ跡、同流域の静内目名のメナチャシ跡、静内農屋のオチリシチャシ跡、静内豊畑のルイオピラチャシ跡の5カ所と日高町厚別川上流にある正和のアッペツチャシ跡。 |
国 | 様似山道 | 様似町 (冬島~幌満) |
北海道 (様似町) |
平成30年2月13日 | 寛政11年(1799年)北方警備のために開削された蝦夷地初の官営道路の一つで、全長7kmのうち約5kmが指定される。 | |
国 | 猿留山道 | えりも町 (庶野~目黒) |
(えりも町) | 平成30年2月13日 | 寛政11年(1799年)蝦夷地周辺に頻繁に出没するようになったロシア・アメリカなどから、蝦夷地(北海道・北方四島など)を警備するため、情報伝達や物資運搬などが容易になるよう陸路の整備が幕府によって行われた北海道における最初の官製道路の一つ。猿留山道沼見峠にある石碑2体は、ともに場所請負人が建立したもの。 | |
北海道 | 門別冨仁家盛土墳墓群 | 日高町富川 | (日高町) | 昭和38年12月24日 | 約2,000年前の墓で、直径1~1.5m、深さ1m前後の円形。墓穴の中に遺体は手足を折り曲げた形で葬られていた形跡がある。肉体はほとんど土にかえっているが、首飾りはシベリア産コハクといわれ、その経緯については興味深い。 | |
北海道 | 静内御殿山墳墓群 | 新ひだか町 静内目名 |
新ひだか町 | 昭和38年12月24日 | 縄文後期、晩期の大規模な墳墓群で積石墳墓である。副葬品の一つである漆器の櫛は他に類例が少ない。 | |
新ひだか町 | ショップチャシ跡 | 新ひだか町 | 新ひだか町 | 平成30年4月25日 | 松浦武四郎(幕末の探検家、1818年~1888年)の著作『戌午美登之日誌』に載る「ミトシブト」の「チャシコツ」を構成するものと思われるチャシ跡。 | |
様似町 | 様似山道 | 様似町 (冬島~幌満) |
北海道 (様似町) |
昭和60年11月19日 | 寛政11年(1799年)北方警備のために開削された北海道道路史上初期の官営道路といわれ、全長約7kmのうち約2kmを指定。 | |
えりも町 | 猿留山道 | えりも町 (庶野~目黒) |
(えりも町) | 平成21年4月1日 | 寛政11年(1799年)蝦夷地周辺に頻繁に出没するようになったロシア・アメリカなどから、蝦夷地(北海道・北方四島など)を警備するため、情報伝達や物資運搬などが容易になるよう陸路の整備が幕府によって行われた北海道における最初の官製道路の一つ。(国史跡指定区間以外の区域) | |
名勝
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国 | ピリカノカ 襟裳岬(オンネエンルム) |
えりも町 | (えりも町) | 平成22年8月5日 | オンネエンルムはアイヌ語で「偉大な岬」の意。太平洋へと岩礁が連続する独特の風致景観を持ち、アイヌにとってカムイ(神)の宿る聖なる岬。 |
国 | ピリカノカ 幌尻岳(ポロシリ) |
新冠町 平取町 |
(新冠町) (平取町) |
平成25年10月17日 | ポロシルンカムイ(ポロシリのカムイ)の居城があるカムイミンタラ(カムイの庭)として神聖視される日高山脈の最高峰。山上にはト(沼)があり、白熊や海獣、ヘビ、海鳥などの伝承がある。このトは、山頂付近の状況から七つ沼カールを指すと推定される。 | |
国 | ピリカノカ オキクルミのチャシ及びムイノカ |
平取町 | (平取町) | 平成26年3月18日 | 人文神オキクルミが降臨し、居城を構えたと伝えられる岩山。かつてはオキクルミの聖地として崇められ、付近の住民が通行するときは遠慮しながら歩いたとも言われている。隣接する丘陵の崖面にはオキクルミの妹(妻)がカムイの世界へ帰るときに忘れて行ったとされるムイノカ(箕・形象)がある。 | |
新ひだか町 | 蓬萊山 | 新ひだか町 三石東蓬莱 |
(新ひだか町) | 平成18年3月31日 | 海抜66mの超塩基性岩地帯は植物の生きた標本庫として知られており、「イワタケ」のほか、日高固有の植物が豊富に見られ、高等植物300種、コケ類100種が自生している。 | |
特別天然 |
国 | アポイ岳高山植物群落 | 様似町冬島 | (北海道) | 昭和27年3月29日 | 様似町からバスで10分、海抜810m日高山脈末端近くに位置しており、寒暖両性の高山植物の宝庫。ヒダカソウ、アポイツメクサ等はアポイ岳にのみ生育している。 |
天然記念物
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国 | 幌満ゴヨウマツ自生地 | 様似町幌満 | (北海道) | 昭和18年8月24日 | 指定地域は335ヘクタール。樹齢150年~200年のゴヨウマツを主とする針広混合林で、短枝に五葉束生とすることからその名があり、その自生地は、檜山の厚沢部と様似町に限られる。 |
国 | 沙流川源流原始林 | 日高町 | 国 | 昭和45年12月4日 | トドマツ、エゾマツを主とし、ダケカンバを交えた本道における冷温帯上部の代表的原生林。エゾシカ、エゾライチョウ等の動物の生息地。 | |
国 | ヒメチャマダラセセリ | (主な生息地) 北海道 |
ー | 昭和50年2月13日 | セセリチョウ科の一種で、ヨーロッパ、シベリア、中国東北部に分布するが、わが国では、アポイ岳のみ隔離分布していることから遺存種と考えられ貴重である。昭和49年(1974年)5月、北大生、鈴木茂氏によって発見された。 | |
北海道 | 新冠泥火山 | 新冠町高江 | 新冠町 | 昭和43年1月18日 | 昭和27年(1952年)3月4日十勝沖地震が発生し、活動が見られたので注目される。大小8個の泥丘があり、その内大型の2個が天然記念物として指定されている。頂上部の直径50m、深さ1.5mのカルデラ状の凹地は湿原になっていて、まわりは軽種馬牧場になっている。日本においてはあまり例のない地質の現象である。 | |
平取町 | 芽生すずらん群生地 | 平取町字芽生 | 平取町 | 平成8年4月1日 | 15ヘクタールの広さを有するスズランの自生地であり、保護すべき優れた自然遺産である。 | |
えりも町 | 豊似湖に生息するニホンザリガニ | えりも町目黒 | (えりも町) | 令和2年10月29日 | ニホンザリガニは希少種に指定されており、豊似湖に生息するものを保護する必要がある。 |
文化的景観
令和4年(2022年)5月1日現在
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選定区分 | 名称 | 所在地 | 所有者(管理者) | 選定年月日 | 摘要 |
重要文化的 |
国 | アイヌの伝統と近代開拓による沙流川流域の文化的景観 | 平取町 | (平取町) |
平成19年7月26日 |
アイヌ文化の諸要素を現在に至るまでとどめながら、開拓期以降の農林業に伴う土地利用がその上に展開することによって、多文化の重層としての様相を示す極めて重要な文化的景観である。 |
平成28年3月1日 |
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平成30年10月15日 |
埋蔵文化財包蔵地
令和4年(2022年)5月1日現在
日高町 | 平取町 | 新冠町 | 新ひだか町 | 浦河町 | 様似町 | えりも町 | 管内計 | |
包蔵地数 | 133 | 127 | 43 | 153 | 58 | 29 | 67 | 610 |