室蘭市出身。小学校2年からサッカーを始め、地元の強豪室蘭大谷高校へ進学。ジェフ市原とプロ契約をするも、93年Jリーグ開幕半年後、結婚式の衣装合わせの日に交通事故で脊髄損傷、車椅子生活となる。2000年のシドニーパラリンピックから日本代表入りを果たし、アテネ・北京・ロンドンと4大会連続でパラリンピック出場。08年の北京大会では日本選手団主将を務めた。2012年現役を引退。
引退後は指導者の道へ進む。2020年からは日本代表ヘッドコーチに就任し、東京パラリンピックで車いすバスケットボール史上初となる銀メダル獲得。指導者として日本の強さを世界に示した。また、2022年にはU23世界選手権でチームを世界一に導いた。