スマートデバイス表示はこちら

ホーム > 教育庁 > 北海道立三岸好太郎美術館 >  三岸好太郎の画業


最終更新日:2017年4月01日(土)


三岸好太郎の画業



  北海道立三岸好太郎美術館     MIGISHI KOTARO MUSEUM OF ART, HOKKAIDO

  三岸好太郎 

  コレクション 

     展  覧  会                 

 イ ベ ン ト      

  アクセス    利用案内

     美術館概要  

   

                   →三岸好太郎年譜

 

 

 

 

 

 

             

夭折のモダニスト・三岸好太郎の生涯(1903~1934)

大正から昭和初期―
近代日本洋画の青春期を駆け抜けたひとりの画家。
その繊細な詩情に満ちた作品は、今も新鮮な感動をあたえてくれます。

◆画像をクリックすると作品と解説がご覧になれます

【道産子・三岸好太郎】
1903(明治36)年、札幌に生まれた三岸好太郎は、1921(大正10)年、札幌一中(現・札幌南高)を卒業して画家をめざし上京、苦労を重ねながら独学で絵の勉強を続けました。
檸檬持てる少女
檸檬持てる少女1923
【画壇へのデビュー】
1923(大正12)年、春陽会の第1回展に、厳選を通って《檸檬持てる少女》が入選します。翌年の第2回展では《兄及ビ彼ノ長女》など4点で春陽会賞を首席受賞し、画壇の注目をあつめました。素朴な情感の漂う人物画、風景画などに独特の感性をにじませながら、さらに画業を進めていきます。
赤い肩かけの婦人像
赤い肩かけの婦人像1924
【中国旅行と作風模索】
1926(大正15)年、三岸は中国を旅行します。この頃彼は制作の新たな方向を模索しており、当時画壇の一傾向であった日本画風の表現なども試みています。中国での見聞は、やがて三岸の作風の展開に転機をもたらすもののひとつとなります。
支那の少女
支那の少女1926
【道化の誕生】
1929(昭和4)年、三岸は道化をモチーフとした作品を発表します。その特異な主題と表現は、彼の新しい境地を示すものとなり、その後1932(昭和7)年にかけ、どこか憂愁を感じさせる道化やマリオネットなど一連の作品が制作されていきます。
マリオネット
マリオネット1930
【独立美術協会への参加】
1930(昭和5)年、新しい美術団体・独立美術協会の結成に三岸は最年少の創立会員として参加します。この頃より彼の作風は奔放さを増し、道化の主題をはじめ、女性像、風景、静物など、多彩な制作が意欲的に続けられます。
道化役者
道化役者1932
【前衛画風への転換】
1932(昭和7)年末から翌年にかけ、三岸は大きく作風を転換させます。《オーケストラ》をはじめとするひっかき線による作品や抽象作品、コラージュ(貼り絵)など、さまざまな前衛的な手法を試み、斬新な魅力あふれる表現が生まれています。
オーケストラ
オーケストラ1933
【蝶と貝殻】
1934(昭和9)年、三岸の作風はまたも大きく変貌します。蝶や貝殻がモチーフとなり、夢幻的な光景が描かれます。また、手彩色の『筆彩素描集・蝶と貝殻』を刊行、「蝶ト貝殻(視覚詩)」という詩も創作しています。
飛ぶ蝶
飛ぶ蝶1934

【アトリエと死】
「私は建築家になるべきでしたね。建築は絵画なんかより先進的です。」と語るほど建築にも関心を持った三岸は、亡くなる年の1934(昭和9)年、斬新な構想を盛り込んだ新しいアトリエの建築を計画します。しかし、そのアトリエの完成を見ることなく、同年7月、旅先の名古屋で客死し、31歳の短い生涯を終えます。

 

のんびり貝

のんびり貝1934

 

 →三岸好太郎年譜はこちら


 

 北海道立三岸好太郎美術館トップページへもどる

展覧会のご案内 コレクション
収蔵作品
主要作品ギャラリー
 

美術館概要
美術館の取り組み
美術館のあゆみ

事務局からのお知らせ
入札情報
 

北海道立三岸好太郎美術館   MIGISHI  KOTARO  MUSEUM  OF  ART,  HOKKAIDO                                                             〒060-0002 札幌市中央区北2条西15丁目  TEL: 011-644-8902    FAX: 011-644-8902   テレホンサービス:011-621-7000