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最終更新日:2019年2月04日(月)

エコール・ド・パリ

パスキンを中心としたエコール・ド・パリの作家の作品と、関連作家の作品を収集します。



ジュル・パスキン 《花束をもつ少女》

ブルガリアのヴィディンに生まれ、異邦人としての生涯を送りながら、人間へと鋭い視線を向け、45歳で命を絶つまで描き続けたエコール・ド・パリを代表する画家。パリへ出たのは1905年で、それまではウィーン、ミュンヘン、ベルリンと各地の美術学校で学び、当時人気の風刺雑誌『ジンプリツィシムス』の素描家としても活躍した。パリでは、モンマルトルやモンパルナスを根城に日夜カフェにたむろする一方、娼婦やモデル、友人らを描いた。1924年頃から彼の油彩はひとつの典型を生むが、それは、淡く透明な色調と繊細な線描で少女や若いモデルをエロティシズムやメランコリーを込めて描く様式、“レザネ・ナクレ(真珠母色の時代)”の始まりであった。本作もその特色をよく示すもので、不安げな表情で腰掛ける少女が煙るような色彩のなかから浮かび上がっている。

ジュル・パスキン(1885-1930) 《花束をもつ少女》 1925-26年  油彩・キャンバス 80.0×64.0cm

ジュル・パスキン(1885-1930)
《花束をもつ少女》 1925-26年
油彩・キャンバス 80.0×64.0cm



アメデオ・モディリアーニ 《フジタの肖像》

イタリア、リヴォルノのユダヤ人家庭に生まれた。ヴェネツィアで美術を学んだ後、1906年パリへ出た。初期には彫刻も手がけたが、肉体の限界から絵画制作に専念。縦に引き伸ばしたようなフォルムをもつ独自の造形美と、深い憂愁をたたえた人物像を多く描くも、しだいに酒や薬に身体を蝕まれ35歳で世を去った。本作は親交の深かった画家、藤田嗣治を描いたデッサン。鉛筆の簡潔な線描により、モデルの体つきやポーズ、おかっぱ頭にちょび髭を生やした親友の風貌がよくとらえられている。画面下方には藤田の手により、フランス語で「モディリアーニによる私の肖像」と書き添えられており、二人の画家の交友の軌跡をうかがわせる。藤田は終生このデッサンを大切にしていた。

アメデオ・モディリアーニ(1884-1920) 《フジタの肖像》 1919年  鉛筆・紙 48.5×20.0cm

アメデオ・モディリアーニ(1884-1920)
《フジタの肖像》 1919年
鉛筆・紙 48.5×20.0cm



ハイム・スーチン 《祈る男》

白ロシアの寒村スミロヴィチ(現・ベラルーシのスミラヴィチ)でユダヤ人家庭に生まれる。最初、母国の美術学校で学び、1912年頃パリに出た。貧しい生活のなかで制作を続けるが、やがて画商ズボロフスキーの援助により南仏各地に滞在、そこで独自の画風を確立した。スーチンは風景画や静物画、人物画を数多く残しているが、それらは画家の激しい精神の振幅を物語る激越な作風によるものが多い。1920-21年、〈祈る男〉と題された連作を制作、本作品はその一点である。モデルは南仏セレに住む老人ラシーヌで、作品の背景には、この連作に着手する年の1月に親友モディリアーニを亡くしたことがあるといわれている。荒々しい筆致からは、画家の激しい内面の慟哭が感じられる。

ハイム・スーチン(1893-1943) 《祈る男》 1921年頃  油彩・キャンバス 94.0×51.0cm

ハイム・スーチン(1893-1943)
《祈る男》 1921年頃
油彩・キャンバス 94.0×51.0cm



北海道立近代美術館
HOKKAIDO MUSEUM OF MODERN ART
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